とても大切に思っていた恩師が亡くなられた。愚かな私は御存命中にはそれほど大切な方だとは思っていなかったのだが、亡き顔を拝見して痛感した。大学時代の恩師の方で、カナダや米国の学会に連れて行ってもらって発表も手伝っていただいた。法医学という基礎医学の教授であり、機嫌を損ねるとややこしくなる気位の高い学者先生であった。下宿が当時の恩師の御自宅から20メートルと近く道路越しに「辻中くん」と、呼ばれて晩御飯なども御自宅で幾度となくいただいたものだ。法医学の道に私を誘いこみたかったのだが開業医の息子であるということのため辛抱なされていた。卒業後もなにかにつけてお声がかかり、当院にも3回来られて医師としての心構えを長時間にわたって私にお説教されていかれた。その時は忙しいのに時間がとられて大変だと思ったが、今に至ってはもっともっと真剣に聞いておけばよかった、また耳にたこができるぐらい聞きたいと思う。
基礎医学である法医学は世間一般で知られている内科や外科などの臨床医学と異なり、薬品メーカーのセールスマンなどの出入りはなく地味でひっそりとしている講座である。恩師は、「臨床の先生はボールペン何十本でも業者からタダで貰えるが私たちは1本でも自費で買っているし、そしてそれを最後まで大切に使う。こういう気持ちを臨床の先生も持ってもらいたい」と、いつもおっしゃっていた。
通夜葬式から2ヶ月後に再び飛行機で御自宅に向かった。そして、亡くなる直前まで使用していたボールペン1本を形見として譲っていただいた。もうお逢いしてお説教を聞くことができないので、このボールペンを観て私を戒めてもらおうと思う。
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