ニッポニア・ニッポン

院長 辻中 まさたけ

小学生の頃、「日本」を正式にはどのように読むかと担任の先生から尋ねられ、私は「にほん」と発音した。先生はオリンピックのユニホームにNIPPONと書いてあることを例に挙げられ、「にっぽん」と読むことを教えてくれた。

日本から飛行機で3時間と少しのグアムという島に行くのは20回を越しただろうか、また懲りずに行ってしまった。今回は歩きに歩いた。タモン湾というホテルが密集している浜辺を散策していると、点々と石垣でおおわれたトーチカを見ることができる。表面には数多くの銃弾の跡、跡、跡。戦争の激しかったこと、ここで多くの人々が死んでいったことがうかがえる。こんな常夏で海がきれいな、そして今はのんびりとした時を刻む島でどうして戦争できたのだろうか、と来るたびに思う、戦争は悲惨である。

あるトーチカの上には日本人旅行客のものと思われる空き缶などのゴミがたくさん置かれていた。グアムは玉砕で有名なサイパン島よりも多くの日本人が太平洋戦争で亡くなっているし、戦後25年以上たってから故横井庄一さんが見つかったことでも有名である。彼は戦争が日本の敗戦という形で終わったのも知らずに、奥深い密林の中でなんとかかんとか生き抜いた。帰国直後の会見で、「恥ずかしながら帰ってまいりました」、とやせ細った姿で話すのを子供ながらに覚えている。

そんなグアムもいまやホテルなどの快適施設群に日本人をはじめとした数多くの観光客。戦争で死んでいった人達が見たら、さぞかしビックリすることだろう。あのなー、と怒るかもしれない、それとも、いやー良かった、と平和な時を子孫が送れていることを観て喜ぶかもしれない。死んでいった先輩方は、楽しそうにグアムにやってきた孫あるいはひ孫世代の日本人観光客をみて、日本という国はまだまだ頑張っている、こんなところで死ぬのは無論いやだったが死んだ価値があった、と思っているに違いない。

こんな先人達の礎のもとに今の日本があることを、われわれは忘れてはならない。

小学校の国語の教科書だったと思うが、ニッポニア・ニッポンと呼ばれていた日本のトキが絶滅の危機に瀕していることが書いてあった。今やすでに絶滅し、中国からやってきたトキがいるのみである。「日本」という国がトキみたいにならぬことを我々は真剣に考えなければならないのではないだろうか。

私は国を大事にすべきであると考えるが、決して軍国主義者ではない。戦争は悲劇の生産マシーンだ。戦争という合法的な大量殺人は、どんな自分勝手な理屈をつけようが間違いに決まっている。逆に、自分の国というものを愛せない輩は、他国の権利や主張も決して尊重することができないと思う輩である。

皆さん、日本という国を愛そう!そして、他国も尊重し、もっと愛すようにしよう!!

現実はともかくも理想は高くもちたいものだ、文明人ならば。

グアム島にて 2007年7月

 
 
 
 平成19年8月8日
 
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