病名

院長 辻中 まさたけ

先日、とある事がきっかけで素朴な疑問が生じた。「病名」のついた状態をいとも安易に健常ではない状態でよくないことと考えていたが、いまさらにして、実は非常に難しい話ではないかと思った。

現在の一般的な「病名」というものであるが、健常ではないところ(現代の医学ではおかしな状態であるところ)を体の部分的(解剖学)的立場から簡単にひとまとめにしたものである。そして、いろいろな発症原因(成因)が書かれているが、必ず特発性という原因不明の項目がある。一方で、最近では免疫学的あるいは遺伝子学的立場から異なった病名を命名されだしてきている。だから、「病名」というのは人間が自己中心的に作成したものみたいな感じがするし健常の状態とはなんだろうという感じがする。

また、不慮の事故を除き、未来の人間達が振り返ってみたら「人間の進化」といわれることも、現時点では「病名」のついた状態として判断されているかもしれない

さらに、ある哲学者が、「この世の中で100%の確率で起こる事は死ぬことである。」と書いていたが、死亡時には必ず病名が付けられる。だから「病名」のついた状態をいとも安易に悪いものと考えたり忌み嫌ったりする傾向があるのは、人間のおごりなのではないだろうか?

ご褒美だとはいえないにしても、自分あるいは親しくしている人が「病名」のついた状態になると精神的なエキス(強さ、戒め、感謝、やさしさ等々)を、甘受できる場合がよくある。「病名」というのは精神的な健常へのプラスの誘因にもなり得る。

「病名」のついた状態も大切な自分のひとつの状態あるいは何かへの反応と考えて受け入れ、そして、仲良く付き合っていく、そんな勇気も大事だと思いたい。

改めて思う!人間という生命を作り出した神秘は計り知れないな〜。その神秘のもとでなんとか自分のちっぽけな領分を生き抜いていこうと思う。

「四苦八苦」。。

熊本阿蘇山にて

 
 
 
 平成18年11月24日
 
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