灯台もと暗し(とうだいもとくらし)

院長 辻中 まさたけ

9月16日から3日間、気のあった先生方4人と、「渓流釣りとワインを飲んで楽しむ!」というテーマで、信州の穂高まで行ってまいりました。町営の温泉に入浴したり、信州そばを有名なお店で1時間も待って食べたりと非常に楽しかったのですが、渓流釣りをほかの先生方が勤しんでいる間、私は渓流の水の音を聞きながら、優雅に読書に耽っておりました。その本の中に、生きていくうえでの「灯台」というものの意味に関しての記述がございました。生きていく航海のうえで灯台の役割はそこを目標の目安とする点で非常に大きいが、灯台に近づきそうになったとき、つまり一つの人生の目標に近づいたときは細心の注意が必要である、なぜなら船が座礁する危険が増すからである、じっと眼を凝らして遠くに見える次なる灯台を見つけることが肝要であると。なるほど、当たり前のことではあるが人生はそうやって生きていかないといけないし、そうやって実際にやってきているのだなと、今さらにして納得させられました。

この文章を読んだときにふと思いましたが、「とうだいもとくらし」という言葉をよく耳にいたしますが、みなさんは漢字でどのように書くか知っておられましたか? 今までは、明るい灯の下で空気のような存在同士が一緒に暮らしを共にすると理解していましたので、「灯台下暮らし」と、情けないことに思っておりました。帰宅してさっそく調べてみますと、「灯台もと暗し」と、書きます。意味は大きく二つに派生しているみたいです。下記に引用させていただきます。

1.灯台が出来る前はもっと暗かったという意味。転じて、普段何気なく利用している物でもなければ不便なのだから、そのありがたみを忘れるなという事。

2.「灯台」は昔の明かりでロウソクや油を入れた皿をのせる台のこと。まわりは明るくなってもその真下は暗いことから、自分のすぐ近くのことは、かえってわかりづらいこと、全く気付かないことを言う。

また一つ、勉強になりました。

信州、安曇野の渓流にて

 
 
 
 平成18年9月21日
 
TOPページへ