皆さんにはこれだけはなにがあっても譲れないというものは考えるとあると思う。ちっぽけな私ではあるが、どうしても譲れないという掟みたいな不文律があることが今まで生きてあることがわかっている。それは、「辻中医院」というものである。父親が大阪府の高槻市というところからまったく知らない町の遠い今尾へ昭和の30年代にやってきて、苦労しながら借家から始めたものである。わたしも小さい頃に同級生によそ者といわれてとても悔しい思いをしたのを憶えている。
二代目となった今は世の中も変わり地元の地に根を生やしているが、幼少時代の私たち三兄弟は親の苦労を幾度となくみてきているので、「辻中医院」を大切にしていこうという気持ちはとても強いに違いない。それはある意味、三兄弟の負担にもなるが、生まれ持っての宿命と私は考えている。
↑ 父の元三(げんぞう)、診察風景
写真の診察机は今も院長室で使用している
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