時代

院長 辻中 まさたけ

 うまくいくと昭和、平成、そして、新しい年号、と3時代にわたって生き抜くことができそうである。

 昭和45年ごろはトラックみたいな車掌さんが後ろの乗車口に乗っていて検札しているバスで近くの高須までいくのに10円であったのを覚えている。切符を売っているのがバス停近くにある土間にガタガタする木の丸椅子が置いてあったお好み焼き屋さんで、何も入っていないお好み焼きが30円でありお心遣いをためてはよく食べに行っていた。近くの公民館では「中華人民共和国展」なるものが開催されパンダの置物を買ったのを覚えている。平成の初期は医者になって間もない頃であったが、バブル経済末期で祇園に飲みに行くと土建屋さんと不動産屋さんがすごい勢いで飲んでいてなかなかお店に入ることが出来ずに悲しい思いをした。少子高齢化といわれる今の時代から考えると、私の年が若かったこともあるのか、夢や希望が錯綜し渦巻く時代だった気がする。

 あっという間の一年、とにもかくにも、もうすぐ新年を迎える。来年は思うところがあり、いろいろな準備をしなくてはならない。まずは当院の紙カルテを電子カルテシステムへ移行することだ。あと少し頑張ってみたい。

 本日はスタッフが慰安旅行で大阪までユニバーサルスタジオに行っている。普段の疲れをしっかりと癒してほしいと思う。

平成29年11月26日

 
 
 

 
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