最後の晩餐

院長 辻中 まさたけ

今になって思うと非現実的に思える入院生活から脱し、俗世の超現実的な世界に戻って半月が経つ。現在、患者さんが少なく、診療はのびのびできるためからか、あるいは、先月号のつじなか便りに書いた心構えからか、より深く患者さん個々と触れ合うことが出来ているような気がしている。

一方で、足腰の衰えはかなり深刻である。卓球を再開したのであるが本当にへたになった。元々動くタイプではなかったが、さらに輪をかけて動かなくなり、ピンポン玉がラケットに当たらなくなったのである。この先、とても心配している。

そういえば、1月に行ったイタリアに行ったときにイタロという日本でいう新幹線みたいなものにのって約700KMを3時間半かけてローマからミラノまでいった。せっかくイタリアに行くのだからと急きょダヴィンチコードなどでも有名なレオナルド・ダ・ヴィンチ作の「最後の晩餐」という絵画を見ることにしたためだ。もちろん高尚な趣味や絵心などはもっていない輩であるが、超有名なモナリザを見に行った時と同じ感覚のミーハー感覚であった。現在では「最後の晩餐」を観賞するためには予約チケットが必要であり、観賞ツアーを除いて期日が迫っているとほとんど手に入らないみたいであるが、私、頑張って、ネットで検索をし尽くして、あるサイトで5日前の予約で手に入れることが出来たのである。そして、異国の地で遠い道のりを旅することにした。

「最後の晩餐」は街中の修道院にあった。入り口にてネットで印刷した予約券を見せるとチケットと交換され、ある時間に20人位の単位で、絵のある食堂に向かう前の通路に立たされる。その後、隔離室みたいなブースを何部屋も数分ずつ通されながら突然やや薄暗い食堂と損の壁面に描かれた「最後の晩餐」に出逢うことになる。「最後の晩餐」と対面する時間、その間約10分ぐらいだろうか?厳かに静かに流れる時間であった、

絵画の歴史的・宗教的評価はともかく荘厳であった。絵画は大きくて静かに佇み、私たち鑑賞する側も椅子に座ってじっくりと眺めて物思いにふけることが出来た。ちなみにルーブル美術館にあるモナリザは何回か見たが、人がとにかく多くて雑多で絵画も小さく観賞するというのではなく見てきましたに近かった。何もわかっていない私であるが、本当に良いものでもそのおかれた状態が大事である。

平成27年3月31日

 
 
 

 
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