院長 辻中 まさたけ

院長の小さい頃はよく大人に「なんで?」と質問して面倒くさく思われたものだ。最近の院長は物事に対して頭で考えることをせずに勝手にそういうものだろうと思い込もうとしているみたいで、「?」と思う気持ちが無くなっている。「?」と考えないと楽なためであるが、頭が苦しまない為にさらに記銘力(覚える力)も極端に落ちている。
どうやら、院長の思考回路は考えても無駄な、世間一般にいう「あきらめ」でありモノゴトの丸飲みに過ぎず、「明らかに究める」という本来の言葉の意味に無縁みたいである。
「?」と思う気持ち、「!!」と思う気持ちを再び持つために彼は現在悪戦苦闘中である。

ところで、孔子の論語にある「・・・五十にして天命を知り・・・」、世間ではいろいろな意味合いとして用いられているみたいであるが、とうとう50歳になった院長、どのように彼なりに解釈し自分の肥にしていくか見ものである。

院長室にあるビーシュリンプという小エビの水槽、軽いベビーブームである。次世代が成長してくることは見ていて、彼はとてもシアワセな気分になっている。

 
 
 

 平成26年1月16日
 
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