時感

院長 辻中 まさたけ

実は以前にも「院長の話」に載せようと思ったのだが、書いている途中に意味不明な文章になり止めてしまったタイトルである。

今年も残り4カ月、瞬く間の時の早さである。小学生の頃はとても1年が長く感じられたが年を取るにつれ、年々どんどん1年が短く感じられる。ついこの前にテレビで「ガキの使いやあらへんで」を見て大みそかを過ごしたのに・・・、年末のご年配の患者さんとの挨拶は「1年は早くすぎるね〜」で、ある。さらに患者さんは「先生、年を取るともっと早くなるよ」と、付け加える。この時間の感覚の変化は何故生れるのか? 30歳を過ぎた頃よりいろいろ考えをめぐらしている。 10歳の頃は1年が人生の10分の一、40歳になると40分の一になるので世の中から得られるモノが少なくなり必然的に長く感じるし、10歳だと精々倍をかけた20歳までの世の中の変化までしか想像できないが、40歳だと30年先でも大体の世の中の変化が読めるから一年の重みが違うとか、である。 ケーブルテレビでは、宇宙のできた瞬間の話やアインシュタインの相対性理論による時空の変化の話がCGなどを使って隠れ文系の私にもある程度解りやすく説明してくれる番組が放映されている。ビッグバンという大爆発による宇宙の成り立ちは、人間が計測できない位のとてもとても小さな容積しかもたない最初の宇宙が、とてもとても人間が計測できない早さでとてもとても大きな原始宇宙を形成したというのである。また、人は大きな重さを持つ、例えば地球や小さいものではピラミッド、所に居ると時間が速くなる(その周りからは動きが早く見える)。 *香川大学という隠れ文系が唯一合格できる国立医学部を卒業した私は雰囲気でしか書くことができませんのでご容赦下さい。

つまり時間の定義というものは普遍的なものではないと考える。新幹線に乗って窓から高速道路を走っている時速100キロの車を見ても速く感じないように、その時の自分というものを中心に置いた相対的なものであるということを再認識し、経時的な変化をもちろん、その瞬間におけるその他との関係においてでも相対的であると考えることにする。 秋の散歩にはトンボの姿は欠かせない。トンボは夏に山間部で過ごし涼しくなると平野に降りてくる数カ月の生涯だそうであるが、彼らにとっては人間の時感では同じく数十年分かもしれない。飛び回っているトンボを手で捕まそうと思っても軽く避けられる。トンボからは人間の動きはとても緩慢に見えるに違いない。

もし、怪獣のゴジラが人間の社会に現われて人間を捕まそうと思っても、人間からはゴジラの動きが緩慢に見えるだろう。そして、ゴジラが1000年生きても、彼にとっては時感が人間の数十年分かもしれない。 子ども達から大人を見ると動きが緩慢に見え、逆に大人から子ども達を見るとすばしっこく見える。時感もトンボと人間、人間とゴジラとの関係と同じことが云えるのではないだろうか?
やはり、解りにくい文章になってしまった。

 
 
 

 平成23年9月5日
 
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