自殺に思うこと

院長 辻中 まさたけ

自殺とは、当たり前だが、自分の意志で自分のいのちを絶つことであり、あの世があるか知るべきもないが、この世とバイバイである。

今まで多くの自殺された方を法医学をしている関係上みてきたが、縊死いわゆる首吊りが一番多かったように思う。つぎに多くみられた溺死いわゆる身投げにくらべ死後発見されやすい、あるいはまわりの方に捜索などの迷惑がかかりにくいなどを考えてからだろうか?、死の直前にゆっくりと自分を見つめることができる、逆に発作的におこないやすいなどの理由もあるのか?、どちらにしても、何にしても古今東西自殺は存在するし、なくならない。

世間の風潮は自殺は良くない事、弱い人間のする事だという感があるように思う。が、私個人の考え方としては決してすすめられることではないが、自殺という行動は無理もないところもある気がする。

この世は生老病死をはじめとした四苦八苦、生きていくことはしんどいものである。生まれたときからの定めとはいえ、大変なことである。自分の愛しているものを失い、人の愛しているものを奪いとり、信じていたものに裏切られ、信じられていたのに裏切り、人を傷つけ、人に傷つけられ、いろいろと考えれば考えるほど、生きれば生きるほど苦しくなり、言葉が悪いが、気がふれてしまうかお釈迦様じゃなければまともに生きていくのが難しいと思うときがある。まともがどういう事かはわからないが・・・・。

五木寛之著「人生の目的」のなかで、最近自殺者の急増が世間一般によくいわれる不況などによるものではなく、遠くの明かりが消えてしまったせいであると書いてある。戦前はお国のためにいかに生きるかあるいはいかに死ぬかという教育を受けてきたが、今はそういう教育もなくなり物の価値観の多様化がおこり、簡単にいうと生きていくなんとなくぼやーとした目標がなくなったためということである。 私はこういうように考える。

不況とはいっても戦前の食べていくのに精一杯だった頃にくらべれば生活に余裕がある、余裕があるからこそいろいろと考えることができ、社会、教育制度のあまりにもの自由さより私みたいに不安が生じてしまっている人が多くなっているのではと。しかし不況により金銭的な問題などより生じる人間関係など信じていたもの、大切にしていたものをうしなって生きていく勇気がなくなった人が多くなっっているではないかと。

とにもかくにもこの世は四苦八苦。 何とか耐えてお呼びがかかるまで生きて、よう頑張ったと自分を誉めて笑って成仏したいな。

あれ、またおかしな事を書いてしまった、おゆるしを!

 
 
 
 
 
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